お昼にラーメン仲間のミカッチと、
いつもの様に『天下一品』へ。
その中での会話は、音楽とビジネスと、芸術と作品とについて、
また一つ考えを深めるものになった。
彼女はクラシックピアニストで、留学経験もある実力派だ。
その上、クラブでターンテーブルを回すという多彩ぶり。
聡明な人物であることは保証する。
クラシック業界がどうなっているのか。
僕は内部の人間ではないのでちゃんとは分からないが、
ずいぶん旧態依然のようだ。
先日、県内のクラシック界の総会があったらしく、
『どうして観客は減ったんでしょうねー』という話題になったのだそう。
そこでミカッチはこう言いたかった。
「あのね、お客さんが亡くなりゆうがよ。」
クラシックのコンサートに来る客が10年前と同じだというのだ。
”客層”ではない、”客”本人の話だ。
「そりゃ50歳、60歳っていうたら、亡くなる人も出てくるわ。」
「新しい顧客をつかもうとしてない?」と聞くと、まったくだという。
端的にいえば『お友達付き合いで成り立っていたし、これからもそうしたい』、
こういう組織だから、客も自然に減るのだとミカッチは憤慨する。
そうだ、これはクラシック界のみならず、
全ての経済活動にとって関係してくる話だと気付いた。
どの業種でも人口分布やその推移は、売り上げや顧客数に関係してくる。
J-POPであれクラシックであれ、ジャズであれ演劇であれ、
人口が右肩下がりだと売り上げを維持するのは容易ではない。
この問題に対する解決策はたった一つ『顧客の創造』なのだけど、
音楽業界はそれを何か、汚物であるかのように、
広告に頼るのは邪道だと言わんばかり。
この問題の深層には「音楽=芸術(アート)である」という、
抽象的な信念がある。
そして芸術(アート)は、絶対不可侵の存在であり、
アーティストは純粋性を保たれるべきであるとクラシック界の人は言う。
しかしそれはピントがずれているし、あまりに閉鎖的だ。
そもそも、僕らミュージシャンは音楽を通じて「実在」したいはずだ。
自分が死んでも、自分の音楽は長生きして欲しいと願ったりするのではないか。
初心、そこを目指していたのではないのか。
だから多くの人に届けと願う事が邪道だという発想自体が、
とても悲しいし、自室での自慰行為を推奨するものになりかねない。
ミュージシャンは、世に出なければミュージシャンではないのだから。
芸術が唯一無二のものだとするならば、
僕は「作品」を作って多くの人に届けたいと願う。
そこには僕の名前が記されているべきだとは思うけど、
必ずしも名前がどうとかじゃない。
音楽そのものが生き残るように粉骨砕身しているんだ。
そして、そこには必ず『見せ方』が必要で、
「この人はこういう音楽をやってる」であるとか、
「かっこいい」とか「かわいい」とか、そういう曖昧な印象でもいいから、
リスナーにあの手この手でアナウンスしてやる必要がある。
「ミカッチ、ロシアの曲ばっかりやってよ(笑)」
「ロシア好きやからねー(笑)」
「そしたらさ、背景はロシアカラーで、真ん中にマトリョーシカで顔はミカッチ(笑)」
それを多くのご老体は拒絶するかもしれないけど、
音楽そのもののマーケットの為にも、
ミュージシャンはもっと商才を身につけた方がいいのではと、
空っぽのラーメンどんぶりを前に溜息をついた。
こんなところです。